彼女の行方(その23)

検査の結果を受け取る日は、よく晴れた水曜日でした。
僕は、検査を受けた日と同じように、何も考えない努力をし
淡々と朝を過ごし、スターバックスで一番安くて美味しいコーヒーを飲み
通勤で急ぐ人を眺め、君たちは素晴らしいと思い、白い建物に向かいました。

検査結果を通知する部屋は検査をした部屋とは別でした。
僕は長い時間、待合室で待たされました。
周りには僕だけでした。他には誰も居ませんでした。
相変わらずクラシックが流れ、牧歌的で、検査の結果を待つ身でなければ
うたた寝をしているところでした。時計は一時間の経過を指していました。
もしかしたら、忘れられてるのかもしれない。と思った頃に、部屋から
女の子が出てきました。一週間前に、孤独を分かち合った女の子でした。
次に僕の番号が呼ばれました。緊張が走りました。
一気に再び、舞台の真ん中に立たされました。

通された部屋はいかにもHIVの検査の結果を通知するのにふさわしい場所でした。
訳のわからない検査薬が所狭しと並べられ、見たことも無い装置が並んでいました。
その僅かな隙間に机と椅子があり、四十歳くらいの医師が僕を迎えました。
僕は椅子を勧められ、医師の発言を待ちました。
医師はペラペラとカルテをめくり、難しそうな顔をして僕を見ました。
どうやって切り出そうか、ためらっているように見えました。
「検査は初めてですか?」悪くない出だしでした。
僕はうなずきました。
「検査結果は、完全なものではありません。誤差が生じる場合があります。
その事をまず、認識しておいてください。それと、これは検査前に説明があったと思いますが、
あくまでも、性交から三ヶ月以上経過していることを前提としています。よろしいでしょうか」
性交。色んな言い方があると思いました。でも、これ以上医師の口上に付き合ってはいられませんでした。
「先生、出来れば結論から先に言っていただけませんか。そのあとなら、幾らでも話を聞きますから」
僕は、生きたいと思いました。生きたい。まだ、死にたくない。
僕は自分の生命をまっとうしたい。綺麗な体でいたい。
訳のわからないことで死にたくない。生きたい。まだ生きたい。
切望する。何者にも侵されていない事を。

医師はうなずきました。もっともな意見だと言わんばかりに。
「おめでとうございます。陰性です」
「陰性という事は、○ですか。×ですか」
「○です。陰性の場合、まず間違いないでしょう。これから、幾らでも出来ますよ」
医師は平坦な声でそうつぶやきました。きっと、何百人に同じ事を言ってきているのでしょう。
うけようと、うけまいと。
僕は部屋を出て時計を見ました。五分経過していました。五分。
僕の大きなつかえが一気に取れました。
待合室の陰気だった風景でさえ明るくさわやかに見えました。
久しぶりの解放感を味わいました。陰性。
僕は心から安堵しました。別に死ぬことを怖がって居たつもりはなかったけど、
何処かでまだ、僕は強く生きたいと思っていたのでしょう。
生命を脅かすもが無くなった安心感。吸い込む空気さえ美味しく感じました。
僕はエレベーターのボタンを押して到着を待ちました。
前回のような俊敏さは消えて、何処にでもあるような緩慢なものに変わっていました。
カゴの中は僕一人で、静かに降りて行きました。
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by haru_ki_0207 | 2006-09-25 23:10 | ショートストーリー  

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