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彼女の行方(その19)

僕らには、もう、話すべき事など、残ってないように思えました。
これ以上ここに居ても時間の無駄でした。
サキは風俗で働いていて、富岡が客だった。シンプルな事実。
それ以上でもそれ以下でもない。ただ、僕が何も知らずに過ごして来ただけ。
「動揺してる?」僕は自分に問いかけました。
「動揺してる」それが答えでした。それ以上でも、それ以下でもない。
ただの事実で現実。

僕は立ち上がりました。一瞬でも早くこの場を立ち去りたい感情に支配されました。早くこの事実から逃れたい。
早く一人になって、事実を整理したい。動揺してるし、混乱してる。
僕の許容量を超えていました。頭を冷やす必要がありました。冷静になって事実をひとつひとつ確認する必要が。
でも、駄目でした。富岡は立ち上がった僕を下からずっと見上げていました。
富岡の視線が僕に刺さりました。何かを言いたげでした。僕は視線を外しました。
富岡の視線がまだ、僕に向けられているのがわかりました。

富岡の視線は真っ直ぐで、僕に静かに、でも確実に突き刺さりました。
そして、富岡が僕の目を見るのは初めてでした。
僕は、再び腰を下ろし、富岡の話を待ちました。
富岡は、ためらいつつも、どう切り出して良いかわからないといった風でした。
そして、あとで考えても一番率直でシンプルな事実を述べました。

「あいつは、病気なんだ」
富岡が、何故その事実を知っているのか、わかりませんでした。
混乱が一層増しました。

「あいつは、今、病気なんだ。なのに、まだ、何も知らない。
その事を知らせに来た。あちこち探して、最後に一縷の望みをかけて
ここへ来たんだ。ここ以外に、もうサキの居場所に心当たりが無い。
私が買ってやったマンションも、もぬけの殻だ。
以前、あいつが居た、風俗店の寮にも行ってみた。そこにも居ない。
もちろん、あんたのアパートも探した。だけど居なかった。
あいつの母親が死んでしまって、私は用無しになったようだ。
お金だけの繋がりなんて哀れなものだよ」

「サキは、どんな病気なんですか?どうしてわかったんですか?」
僕の質問を無視して富岡は喋り続けました。

「私はある意味、あの女に惚れていた。ちゃんとした感情があったんだ。
性欲だけで抱いていた訳じゃない。だけど五十歳を過ぎた男にどんな道が残されている?
若い女を手に入れるのに、どんな方法がある?金しかないだろ。それなのに、あいつは
あんたなんかに、走ってしまった。あっという間だ。今まで積み上げて来たものが一瞬だ。
わかるか。あんたに。俺の気持ちが」
富岡の興奮は、哀れに見えました。
暗い嫉妬の気持ちを越えて、深い憎悪の感情が沸き出ました。

「何があるにせよ、僕はあなたがサキにした行為は許せない。
僕に対してした行為も許せない。最低だと思う。
たとえ何があるにせよ、弱者を翻弄するべきじゃない。
自分の範囲の中で僕もサキも懸命に生きてるんだ。あなたのやり方は
人の道を外れている。大人のやることじゃない」

富岡は黒い顔を一層黒くさせていました。
そして、レシートを取って立ち上がりました。
「最後にあんたにも伝えとく。
私はHIVのキャリアだ。それをサキに伝えに来た。
サキの仕事柄、仕方がないだろう。
医者の端くれとして、私はサキに伝える義務がある。
人生に先が見えると、妙なものでな。人生というものが輝いて見えるよ。
良い経験かもしれない」

さっきまでコーヒーを飲んでいたのに、喉がカラカラに渇きました。
つばを飲み込む音がやたらして、僕の足は震えていました。

サキが最後に言った言葉が蘇って来ました。
「あなたの全てを奪うかもしれない」
僕がずっと感じていた細胞にこびりついてるものの事を思いました。
人生の先が見えた気がしました。それは有限で僕は今からその
有限な人生を切り刻んで、一日一日生きて行かなくてはいけないのかもしれません。

by haru_ki_0207 | 2006-09-21 00:20 | ショートストーリー  

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