彼女の行方(その12)

仕上がった図面は、大幅に変更されました。
敷地の容積率を最大限に使い、ベッドの数を倍に増やしました。
コストを下げるために、仕上げを簡素なものにしました。
収入の為だけを考えた、経営者のための図面でした。
僕は、独立する前に務めていた設計事務所で同じ事をやり続けていた事を思い出しました。
僕は、それが嫌で独立したのです。
建物を収入の道具にのみ利用し、文化的価値も存在の価値も無い
ただの作業としての設計という行為に、我慢がならなくなったのです。
それが今、僕は、以前と同じ事をしている。
お金の為に。
僕は、現実をつきつけられながら、富岡の事務所に向かいました。
受付には、もちろん、サキの姿はありませんでした。
始めて見る女性が応対し、社長室に通されました。

富岡は、一週間前の出来事が何も無かったみたいに、妙に恐縮し、
「先生。いやあ、ご足労かけました。こちらの不手際もあったみたいで、
非常に申し訳ない」と言い、パラバラと図面を見始めました。
「いや、いい、実にすばらしい。さすが先生だ。こんなに短時間で、
ここまで仕上げて来られましたか。実にすばらしい。まあ、今回のことは
勘弁願いたい。こちらとしても、事情が少し変わりましてね」
「変わったと言うと?」僕は話の展開に少し戸惑いました。
「あの子、知ってるでしょ。よく知ってるはずだ。サキね。
あの子にね、やらせようと思ったんですよ。新しいケアハウスをね。
実に熱心な子だった。いい子でしたよ。献身的で。
病気の母親が居ましてね。親孝行な娘だった。私は感動しましたよ。
いまどき、珍しい子だ。お金のかかる病気みたいでね。どこぞの
病院に入院しているらしい」そこまで一気に喋ると富岡はタバコに火を付けました。
「居なくなったんですよ。彼女。突然辞めてしまった。
何の理由も引継ぎもなくね。こちらとしても困ってる。
何しろこの業界も人材不足でね、流行ってるけど人手が足りない。
希望者は多いけど使い物にならない。彼女のようなね、人材がずっと欲しかった訳ですよ。
私としても。でも、出て行った。どこに居るのかもわかりません。
よって、これ以上計画を進めても無駄なのです。
申し訳ないが、こちらの事情もわかって下さい。
まあ、正規の料金は払えないが、迷惑料と思ってください」
富岡は小切手を僕に差し出しました。

基本設計料として僕が受け取るべき金額の半分以下の金額が書き込まれていました。
影が、何かの影がそっと僕の前を通った気がしました。
そして誰かから見られてる気がしました。その時そう思ったのか
あとでそう思ったのか、今となっては正確にはわからない。ただその時
僕はその小切手を、図面を引き裂いたときみたいに半分に破り、
そしてまた、半分に引き裂きました。
「富岡さん。これは受け取れません。私は約束どおり、仕事をしました。受け取るなら
正規の料金をいただきたい。それ以上でも以下でもなく、約束の金額を。
約束を守ることは大事なことですよ。そうでしょ。社会とはそういうものでしょ」
僕は細切れになった小切手を、さっき富岡が使ってた灰皿の中に入れました。
紙くずと灰は、水と油みたいに綺麗に、分離したように見えました。
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by haru_ki_0207 | 2006-03-08 22:50 | ショートストーリー  

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