SNS(その3)リアル

◆3 リアル
お腹を満たして横になっている鮎川さんを見るのが好きだ。それは正しい姿勢で眠る正しい生き物みたいに見える。正確な呼吸をし、正確な時を刻んでいる。少しずつ、確実に。年齢より綺麗な肌。きっと普通の人よりは老化の速度が遅いのだろう。年は離れているのに、違和感はない。時々、父の面影を追っているのかもしれないとも思う。父が生きていたら、今とは随分違った人生になっていたはずだ。その事はどうしようもないことなのだろうけれど、でも、いつも、もしもと、思うのだ。
だからなのだろうか。鮎川さんを抵抗なく受け入れる事が出来たのは。正直なこの男は、無欲で野心もない。私の母親が再婚した相手とは正反対だ。あの男ときたら、貪欲で何でも欲しがり、そのくせ何の計画性もなく、ただただ欲望の赴くままに生きている。そんな男との共同生活からやっと抜け出せたのも、鮎川さんのおかげだ。
鮎川さんと私は、この先どうなるのだろう?このまま、一生を愛人として過ごすのだろうか。子供が出来ないという欠陥を抱えた男と私はずっと一緒に生きていくのだろうか。この奇妙な愛人契約を結びながら、いつかは一緒になるのだろうか。解っている。こんなことが長くは続かない事は。今は人生の踊り場に過ぎない。ちょっとの間だけ、楽をしているだけだ。そして人生を楽しんでるだけなのだ。産まれて初めて。
猶予。
私も深い眠りに落ちようとしていると、アユミからメールが来た。アユミだけの特別な着信音。だからすぐにわかる。覚醒された脳みそを揺さぶりながら、ディスプレーを見た。
「もう、私たち、無理かも……」
マサト君と何かあったのだろう。最近、あまり上手く行っていないと言っていた。約束の時間も守られていなかった。理由があるんだ。どんな結果にも原因がある。それが、私が今まで生きてきて得た数少ない教訓の一つだ。でも、これだけの情報では、何とも答えようがない。
「大丈夫。彼を信じようよ。まだ、わからないじゃない」と、とりあえず返信。
アユミが何か他の情報をくれるだろう。次のメールを待つしかない。私はセックスの後の気だるい身体に鞭を打った。不吉な予感がした。何かが変わる予感。私の中で。この瞬間に、時の結び目があって、変化が起こっている気配。急に性欲が沸いてきた。ふつふつと。頭はボーっとしているのに、ある部分だけ冴えてる。いつか体験した感覚。隣の鮎川さんは小さな寝息を立てている。私は鮎川さんの身体に腕を回した。鮎川さんは私に向き直って私を抱き寄せた。
「もう一度抱いて」私は鮎川さんの耳元で言った。自分の言葉で私は濡れた。今までにないくらいたくさん。

朝、アユミからの返事は来ていなかった。鮎川さんと一緒にマンションを出ると、私は家路についた。徒歩で二十分。最初に鮎川さんが教えてくれた。これも律儀に正確。一度歩いて測ったらしい。そのとき、どんな気持ちで鮎川さんが歩いたのかはわからなかった。彼は今、幸せなのか。プライドとは縁遠い人。可哀そうな人。でも可愛い人。利用されることに慣れているのか、自己主張がないのか、いずれにしても使われる側の人。そしてそんな男に私は囲われている。この立派な社会の仕組みから生み出される不労所得で。
その事に何の感慨もなかった。特に悲しいとも思わなかった。ただ出口が必要だった。一人で立って歩けるだけの力が必要だった。シフトしなくてはいけない。何らかの方法で。いつまでも鮎川さんに囲われているわけにはいかないのだ。でないと、いつまでも鮎川さんと対等に話も出来ない。でも今は家に帰ってシャワーを浴びたかった。そしてもう一度、頭の中を整理する必要があった。
主婦のために作られた害のないテレビ番組を見ていたら、いつのまにか夢の中に居た。夢の中で、誰かが私の為に料理を作ってくれた。私は食べたくなかったのだけど、出来上がったものを見たら、無性に食べたくなった。でも、箸もフォークもナイフもスプーンさえも無かった。仕方なく手で食べようと決心したところで、目が覚めた。携帯にメールが来ていた。アユミからだった。

「マサト君。彼女が居るみたい」
月並みな展開だった。送信時間を見た。十二時四十分。アユミは昼休みにメールを送信したのだ。今、五時十分。随分時間が経っている。寝てた、なんて言えない。鮎川さんに養ってもらってる事をアユミは知らない。知られたくない。僅かな私のプライド。アユミにだけは、対等で居たい。

「ごめん。ずっと会議中だった。大丈夫?」
慌てて打つと、仕事中にも関わらず、すぐに返事が来た。
「今日、会えないかな?」
ドキッとした。いきなりこんな展開?アユミと会う。初めて会う。顔は知っている。何度も見てきた。でも実際に話した事はない。声も知らない。でも会う。今から。きっと相談。マサト君の事。どんな展開?わからない。でも……。

「良いよ。今夜は予定ないから」
「良かった。残業ないから、七時には出られる」
「わかった。どこで会う?」
「じゃあ、ミチルがいつも使っているスタバで」

 今夜、というか、予定はいつもない。ただひっそりと暮らしているだけだ。あいつに見つからないように。ただ、兎に角、私はシャワーを浴びて、髪をとき、化粧をした。そして鮎川さんに初めて会いに行ったときと同じ服を着た。私が持っている中で一番気に入っていて、一番高い服だ。それ以外にはこれと言った服を持たない。興味がない訳じゃないんだ。ただ、持ってないだけ。余裕がないだけ。今の優先順位の一番が貯金なだけ。そしてその先には自立があるんだ。

アユミは七時を少し過ぎてやってきた。きっちりとしたスーツ。仕事の出来る女性といった感じ。写真で見るよりも数段綺麗。とても男の問題を抱えているようには見えなかった。
アユミは私に近づき、大輪の花のような笑顔を見せ、すぐに涙ぐんだ顔になり、キャラメルマキアートを手に持ちながら、私に携帯電話で撮った写真をいきなり見せた。
「どうしたの?これ」と私は聞いた。
「マサトの携帯の中に入ってた。それを私の携帯で撮ったの」とアユミは言った。
その画像は、マサト君と彼より幾分若そうな女性が、頬と頬を密着させ、意味のある含み笑をお互いしつつ、携帯で自分撮りしていた。
「これがマサト君?」と私は聞いた。一度送ってもらった写真とは印象が違って、彼は随分と野性的だった。草食系では決してなく、間違いなく肉食系の顔だ。
アユミはうなずいた。アユミの長い髪が小さく波打った。綺麗な髪だと思った。そして良く栄養が行き届いている。
「隣の女は?」
アユミは首を横に振った。髪がテーブルの上に落ちた。光沢があって弾力があった。彼はこの綺麗な髪に気が付いているのだろうか。ほめた事があるのだろうか。
「綺麗な髪」
「え?」
「アユミの髪。黒くて豊かでしなやか」
「ありがとう。でも、誰も何も言ってくれない」
「誰も気が付いてないんだね」
「そう、毎日手入れしてるのに」
その髪を触りたい衝動に駆られた。変な感情。でも触れたい。アユミを安心させて上げたかったから?
「あ、私たち、初めましてだね」
「うん。そうだね。全然そんな感じしないけど」
「アユミ、って呼んでいいのかな?」
「私もミチルって呼ぶ」
メールでは何度も話したけど、会ったことも話したこともなかった二人。少し、現実的になった。そしてアユミは現実的な提案をしてきた。

「マサト君に聞いてくれないかな?どっちを選ぶのかを?」
「え?だって私、マサト君の事、知らないし」
「SNSのアドレス、教えるから。友達になるの、簡単でしょ」
確かに簡単だった。ネットの世界で、女が男に近づくこと程簡単なことはない。女が圧倒的に有利なのだ。そして現実世界では、同じくらい圧倒的に女が不利だ。これも教訓のひとつ。
「私がマサト君に近づいて、他人のふりをして本心を探るっていう事ね?」
アユミは自分を説得するようにうなずいた。
私はその夜、早速検索をしてみた。そして簡単にマサト君にたどり着いて、非現実世界の友達になった。

ネットの世界で男ほど簡単な生き物はいない。そう思った。
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by haru_ki_0207 | 2011-02-27 22:44 | SNS  

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