「ほっ」と。キャンペーン

SNS(その9)真実

◆9 真実
柏田は一人だった。私がコーヒーを勧めると、それを両手で抱え込むようにして、ズルズルと音をたててすすった。金を持っていても、育ちが良くないのだ。その点、アユミには品があった。小さな頃から良い環境で育つと、いつのまにか品が作られる。継承するものなのだろう。私には継承するべきものが何もないけど。

「良かったよ」と柏田は言った。
「何が?」と私は聞いた。
「旅行。天気。全て」と柏田は言った。
「アユミの若さ、身体」と私は付け加えた。
柏田は笑った。堪えても、あとから湧き出てくる。そんな笑い方だった。
「良かったよ」ともう一度言った。
「そう?」
「ああ、君の提案に乗って、本当に良かった。これは約束の金だ」
柏田は、抱えてきた紙袋から、札束を出した。
「空港から直接来たんだ。そういう約束だったからな。土産は、後日、アユミと持ってくるよ」そう言うと柏田はテーブルの上にその四角い現金を積み上げた。百万円の束が五段で二列。一千万円。テレビでなら見たことがある。よく見慣れた風景。でも、実際に目にするのは初めてだった。

「私のレクチャーは役に立ったでしょ」と私は言った。
「ああ、最初から最後まで」と柏田は言った。
最初というのはセックスの事で、最後というのはプロポーズの言葉だ。
「あなたという人物を把握するのに、最初はああする方が、手っ取り早かった。よく、解ったわ。あなたのこれまでの色んな事が。計画も立てやすかった」
「その後の段取りも、申し分なかったよ。今まで俺は、いかに仕事人間だったのか、痛感した。苦手な事を避けてきたのだろう。ある部分で俺は無能な人間なんだ。君が居なかったら、手も足も出なかった。何処から始めたらいいのか、さっぱり見当も付かなかった。一緒に旅行に行くというのは良いアイデアだった」
「私の喘ぎ声を聞いて、勃起したでしょ」
「ああ。シナリオ通りだったな」
「あれが始まりの合図。アユミは私たちがキスしたり、抱きあったりするのをみて、理性を失った。だから、あとは、簡単だったはずよ。誰がやっても上手くいく。あなたを受け入れる準備も事前にしておいた。年上の男性がどれほど経験豊かで濃厚で安心か、さり気なく確実に、事あるごとにアユミの深層心理に刷り込んだ」
「立派な商品パッケージだな。何処にでも飾って置ける。じゃあ、やっぱりあれは作り話しなのか。例の父親から強姦された話し」
「本当よ。全部本当の話し。酔った勢いというのは嘘だけど。あの男はしらふで私を抱いたわ」
柏田は私を見上げて、それから下を向いて、首を横に振った。
「とにかく、客としてこれを置いて帰る。受け取ってくれ」と言って、テーブルに積んだ札束を私の前に押しやった。
これまでの私の人生の中で実際に目にした事もない高額な現金。私の殺風景な部屋には場違いなものだった。でももはや、織り込み済みの金。たいして興味も感慨もなかった。

「じゃあ、もうひとつ、これからのビジネスパートナーとして、頼んでおいたリストを頂戴」と私は言った。
柏田は、ビジネスバックから封筒を取り出して私に差し出した。私はその一枚の紙を眺め「いくらでもいるのね。金持ちって」と言った。
「ああ、いくらでもいる。だけど、たいていは土地を持っていたり、遺産を受け継いだりしている連中だ。俺くらいだよ、裸一貫で稼いだのは」と柏田は言った。
「そこだけは尊敬するわ。だから、あなたを選んだのよ」
「鮎川ではなく、俺だったんだな」
「勘違いしないで。鮎川さんは不向きなだけよ。たった一回私と寝ただけで、あなたは鮎川さんを越えられないわ。足元にも及ばない。あなたと寝たのは、レクチャーのためだけの行為。アユミをあなたに夢中にさせるために、あなたには訓練が必要だった。あなたのスキルと経験の無さは、やる前からわかっていた。私の男はあくまで、鮎川さんよ。何を外しても必要なの。あたなの代わりはいくらでもいるわ。だから、鮎川さんを馬鹿にするような言い方を私は許さない」
「そう、つっかかるな。君には感謝している。金には代えられないくらい、貴重なものだ。この金でも安いと正直思っている。この年で諦めていたものが、手に入ったんだからな。それに良いビジネスモデルだとも思うよ。高収入中年男性と若くて綺麗な女子とのマッチング。俺と君が組んだら、大きな収入になる。俺は今まで以上の生活が出来て、君は鮎川と十分な暮らしが出来る。適齢期をとうに超えた不幸な中年童貞を救える。良い生活を夢見るけど、出口の見えない若い女性も救える。誰もが幸せになれる。誰も不利益をこうむらない。少子化に歯止めがきく。ブライダル産業にも貢献出来る」

「結婚式場からのマージンは折半で良いわ。紹介してもらった男からは、私が七割もらうけど、それで構わないわね?教育費込みで。身体を張ってるんだから、それでも少ないくらいよ。あなたは、知人を私に紹介するだけ。楽なものだわ。私がリスクと労力を負うの。問題は無いわよね?それと、マサト君への手切れ金、私が身体で立て替えてるの。今度、持ってきて頂戴。百万円。アユミと土産を持ってきた時に忍ばせておいて」
柏田は、私の提案が上手く理解できない様子だった。しばらく私を生気の無いよどんだ目で見ていた。ようやく理解できると今度は私を、汚い物でも見るみたいに無遠慮な視線で下から上まで舐め上げ、それが終わると「ああ。異存はないよ」と言って、再び下を向いた。柏田は私の足を見ていた。長い間、海を漂流して、ようやく海岸にたどり着いた流木でも眺めるみたいにじっと。そして自分を無理やり納得させるかのように何度も頷くと、ゆっくりと顔を上げて、私を真っ直ぐ見た。そして口を開いた。

「ひとつ、聞いても良いか?」まるでこれが最後の別れとでも言うかのような台詞。
「何かしら?」と私。答えるつもりはないのだけれど。
「このアイデアを思いついたのは、いつなんだ?こんな手のこんだ事をどうやって考えた?」
「それは、どういった好奇心からかしら。ビジネス?それともプライベート?」
「ビジネスだ」と柏田は言った。この男の頭の中は仕事の事しかないらしい。結婚を金で買う男だ。次の仕事にでも役立てようというのだろう。見上げた精神だ。こうでないと、金は貯まらないのだろう。だけど悲しい男。愛さえも、買う男。そして買えてしまう現実。本当に悲しいのはその現実かもしれない。

「あなたに見せたでしょ。私とアユミが交わしたメールの全てを。最初の出会いから最後の一行まで。あなたに、アユミがどんな女であるかを知ってもらうために。『もう、私たち、無理かも……』というメールが送られてきたときよ。私はその夜、鮎川さんに抱かれながら思いついたの。何かが降りてきて、私にとりつくみたいに、ひらめいたのよ。アユミを利用することを。ひどい女。そう思ってもらって、構わないわ。ただ一人の大切な友達を騙すようなことをして。でもね、私は誰も不幸にはしていないわ。みんなを幸せにしてる。マサト君はアユミと別れて自由になりたがっていたし、アユミは結婚をして安定を欲しがっていた。あなたは若くて無垢で、結婚できる女なら誰だってよかった。なのに誰も何もしなかった。動かず、指をくわえてじっと見ているだけで、人生を傍観していた。そんな自由さえ奪われた者が居るのに。だから私が動いたの。代わりに必死になって。動きながら考え、考えてはまた動いた。動かない事には、状況が変わらない事だけは、わかっていたから。上手く行ったわ。上手く行ったでしょ?笑っちゃうくらい。あなたはノコノコと金を持ってくるし、アユミは幸せなメールを何通もくれた。マサトくんは心配性のアユミから解放されて、何人もの女とつきあってる。傷ついたのは、私一人よ。私一人が動き回って、傷ついた。これでも傷ついてるの。理解出来ないでしょうけど。これでもぎりぎりでやってるの。限界に近いの。それにね、あなたは誰も不利益をこうむらないと言うけど、私は大切なものを失ったの。あなたにこの気持ちがわかる?」

私が本当に心から欲しかったもの。途中で気が付いた。あの温泉の夜。いや、最初から分かっていたのかもしれない。ただ、気が付かないふりをしていただけだ。そんなはずはないと。でもダメだった。目を背ければ背けるほど、それは目の前を覆った。私の心にガンガンと打ち付けた。隠せば隠すほど、くっきりと姿を現し、止める事が出来なかった。そして後戻りも出来なくなっていた。
出来る事なら、今、全部壊してしまいたかった。全部壊して、私は取りたかった。私の本当に欲するものを、初めて心から欲しいと思ったものを、鷲掴みにして、我が物にしたい。でも、出来なかった。何故?それほどまでに律儀に義理を通さなくてはいけないものがあった?私は何を選び、何を捨てたのか。結局はこの連中と同じだ。いつの間にか傍観していた。流れに身を任せてしまった。
私が本当に欲しかったもの。それを、柏田。あんたは金で手に入れた。全てを叩き付けたかった。全部、振り出しに戻したかった。私は、積みあがった札束を全部、床に叩き付けたかった。叩き付けて、返してほしかった。私の大事なものを。
アユミ。アユミが欲しい。アユミを返せ。綺麗なアユミ。綺麗なだけじゃない。繊細で傷つきやすく、壊れてしまいそうなくらいもろいアユミ。私が包んであげたかった。私から溢れるもの全てで覆い尽くしてしまいたかった。アユミの全てを征服したかった。二人でドロドロになりたかった。アユミの心の糧になりたかった。愛し合いたかった。アユミ。私はあなたを裏切った。こんな金の為に。こんなものが欲しかった訳じゃない。見たこともないような現金だけど、アユミと取って変わるものではない。どうしてこんなことをしたんだろう。間が差した訳ではない。流れに身を任せた訳でもない。ただ、こうなってしまった。逆らえなかった。気が付くのが遅かった?全ては承知していたはずだ。心のどこかで、仕方ないと思っていたはずだ。止めようと思えば止められていた。でも、止めなかった。私の中にある汚れた心がそうさせた。どうしようもなく汚れてしまった心。淫らで逆らえない弱い心。ずっと私を支配し、服従させていたもの。わかっている。わかっているんだ。ずっと隠し通せるものではないことも。あの男の段取りが上手く行かなくて客が取れず、あの男が私を抱くとき、私は、深くイッた。あの男のやり方は武骨で乱暴で、優しさのかけらもなかったのだけれど、あの男に触れられると、身の毛もよだつのだけれど、あの男の指が膣の中に挿入された瞬間、私はどうしようもなく淫らになり、直ぐにいってしまう。それがなぜだかはわからない。最初にオナニーをしているのを見られてしまったからかもしれないし、ただ単に私の身体が変態だからなのかもしれない。だけど、あの男の指を私は欲した。心では嫌だと言っているのに、身体がそれを求めた。
深呼吸をした。僅かな新札のにおい。私はその上に手を置いた。暖かかった。ぬくもりがあるんだ。気持ちの無いものでも、暖かいんだと思った。込みあがってきていたものが次第に収まった。そしてゆっくりと降りて行った。

私は大切なものを失ってしまった。永遠に。あとには何が残ったのだろう?私が得たもの。私が手に入れたもの。あの四十をとうに超えて、理不尽な理由でぼろ雑巾のように捨てられた種無し男。世間の荒波に耐えられず、傍観する側に回った男。鮎川さんだけだ。鮎川さんのぬくもり。鮎川さんの心。年よりも若く見えるし、何よりも私を感じさせてくれる。私を快楽へ導いてくれる。優しく、そしてきっちりと。そして助けてくれた。あの地獄のような毎日から。ただ己の欲望を満たすだけの稚拙で乱暴で自己中心的な性行為から。汚れのこびりついた私の人生の中で唯一、淀みない純粋なものを与えてくれた。鮎川さん。麻薬のようにとりつき、澱のようにこびりついたものを、丁寧にはがせてくれた鮎川さん。鮎川さんが必要なのだ。あの男から本当の意味で逃れるために。あの男が私を触れる手から逃れる為に。私のドロドロとした本能を永遠に封じ込める為に。
柏田を見た。うなだれて、さっきから動こうとしない。私はこの男とも寝た。これから、私は何人の男と寝るのだろう。何人の男と、気持ちの無いセックスをするのだろう。鮎川さんが全てを知った時、それでも私を求めてくれるだろうか。本当の私を知った時、あの人は私を全部受け入れてくれるのだろうか。きっとあの人は求めてくれるだろう。私の想像の枠を超えて、私がちっぽけな存在になるくらい大きな愛で私を包んでくれるだろう。それが私にはわかる。それが鮎川さんなんだ。それが、私達が出会った理由なんだ。会いたかった。無性に会いたくなった。今すぐ包まれたかった。今、会いたい。あって許されたい。全てのものから。そして求められたかった。契約を破棄し、私をここから連れ出してほしい。どこか遠いところへ。
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# by haru_ki_0207 | 2011-03-20 15:29 | SNS  

SNS(その8)来客

◆8 来客
私は相変わらずだった。週に一度、鮎川さんのマンションに行った。それ以外は身を潜めて暮らした。あの男に見つからないように。あいつの事だから、今頃私の事を血眼になって探しているだろう。前の会社にも行っているはずだ。このマンションの住所は誰も知らない。鮎川さんから直接借りてるんだ。実家からも遠い。わかるはずがない。
あの男にずっと脅されていた。私たちの関係を母に話すと。私は抵抗できず、給料のほとんどをあの男に手渡していた。奴隷だった。金銭的に、肉体的に。あの男は私を見逃すだろうか。いや、絶対に諦めない。必ず探し出すはずだ。あの男にとって私は最高のオモチャなのだから。そう、ずっと私はあの男に弄ばれていた。出会った日から。

雨の降る日だった。母があの男を連れてきたのは。私はまだ高校生だった。好きな男の子がいた。隣のクラスだった。ちょっとナイーブな子。いつも本ばかり読んでいる。決して女の子にはもてないタイプ。でも私は好きだった。図書館で私達はたまに会話を交わした。お互いに読んでる本の話し。私は彼の細くて白い手にときめいた。たまに手紙も交換した。彼の書く文章が好きだった。角ばった文字も。私に好意を持ってくれていた。それが文章から手に取るようにわかった。でも、直接的な言葉で伝えようとはしなかった。その痛々しさが好きだった。
友達に彼の事が好きになりそうだと話すと、ちょっと変わってるねと言われた。でも、良いんじゃないとも。ライバルが居なくて。あの頃は友達も多かった。誰とでも打ち解ける事が出来た。あの日までは。
雨の降る夜、あの男はやってきた。母に連れられて。挨拶もせずに男は母の部屋に入ってセックスを始めた。私が居ることなど構いもせずに。母のあんな声を初めて聞いた。母が私の前で初めて見せる、女の姿だった。その日初めて、私はオナニーを覚えた。二人の行為がどんなものだったのか、その時は上手く想像出来なかった。ただ隣の部屋から聞こえてくる声で、私の手は下半身に伸びた。誰からも教わらずに本能でクリトリスに触れた。下半身が「触って」と言ってる気がしたんだ。クリトリスはすでに固くなっていた。先端を指で触れると、一瞬、身体の中心を何かが貫いた。思考が上手く働かず、でもある部分はとてもくっきりとしていた。股の間から今までには体験したことのないものが溢れてきた。私はクリトリスに触れながら、もう片方の指を溢れるものの中に入れた。指に膣のひだが絡みついた。膣のひだは指を欲していた。もっと奥へ奥へと要求した。私は欲望に引き込まれるまま、指を奥まで挿入した。ずるずると。指の第二関節まで達した時、指の腹にゴツゴツとしたものが触れた。何かいけないものだと感じた。これ以上触れてはいけない。でも刺激せずにはいられなかった。麻痺した脳みそとは別のものが明確に私をそこに向かわせた。つめを立て、その襞をひとかきした。カリカリとした凹凸があった。そしてその凹凸を爪でひっかくたびに私の中からさらに液が溢れた。それはおっしこみたいに、あとからあとからこぼれ落ちた。私は母のよがり声を聞きながら、襖ひとつで隔てられた自分の部屋の布団の中でその行為のふけった。クリトリスはずっと固いままだった。手はべちょべちょになった。何か得体のしれないものが私を包んだ。それはかつて一度も味わった事のないものだった。これ以上先にいってはいけない。興奮の中で冷静な自分が居た。そして同時にどうしようもなく淫らな自分も居た。もっと先に行きたい。行けば何かがありそうだった。もっと気持ちいいもの。果てしない快楽。でも、怖い。葛藤が狭い空間にひしめいた。指だけが理性と無関係に動き続けた。突然母の声が止むと、肩をたたかれたみたいに私の手も止まった。やっと止める事が出来た。ホッとして、大きく何度も深呼吸した。そしてその夜は泥のように眠った。

朝起きると、母は既に仕事に出かけていた。夏休みだった私は、遅い朝食を一人で取った。後ろから物音がして振り返ると、昨日の男が居た。男はテーブルを挟んで私の前に座った。上半身は裸で、下はトランクスしか履いていなかった。その男はにやにやしながら私を舐めるように眺め、やがて、「母親には似てないな」と言った。
私は下を向いていた顔を上げずに、目だけを向け男を見た。がっちりとした男の上半身は、つややかで、筋肉に溢れていた。腕は太く、日に焼けて黒光りしていた。その太い腕が私に近づき、大きな手が私の顎をつかんだ。
「絹代よりも可愛いな」男は私の顎を左右に振り、太い声で言った。
「やめて下さい」と私が言うと、その大きな手が私の頬を打ち、私の身体は椅子ごと床に叩き付けられた。私が起き上がろうとすると男は私の身体の上に馬乗りになり、両方の手首を上から押さえた。その力は私の力をはるかに超えていて、どんなに力を込めてもピクリとも動かなかった。
「おまえ、昨日、一人でやってただろう。俺たちがやってるのを聞いて、オナニーしてただろ」力が出なくなった。恥ずかしさで、顔を覆う事も出来ずに、私は首だけを振った。涙が溢れてきた。そしてそれを拭う事も出来ず、声も出なかった。ただ私は首を振り続けた。男は私の髪をつかみ、頭を床に押し付けた。男の大きな手が私の着ているものを脱がせ始めた。私は手で顔を覆うだけだった。男の手が私の色んな場所をまさぐった。それは荒々しく性急で、感情のかけらもなく、ただの排泄行為だった。全てが終わると、男は私の上で仁王立ちになり、記念写真だと言ってパシャパシャと携帯で写真を撮りはじめた。その時、私は失くしたんだと思う。処女だけじゃない。普通の女子高校生が普通に持っている淡いもの全てを。

 男は母親の前では、とても良い父親を演じていた。たいしたものだった。露ほども尻尾を見せなかった。私の事をのりちゃんと呼んで、優しくした。母親はこの男を心底愛していたと思う。父が亡くなって以来、女手一つで私を育ててくれた。いつも働いていた。そして借金を背負って苦労していた。母のこんな屈託のない笑顔を見るのは久しぶりだった。いや、初めてだったのかもしれない。やっと掴んだ幸せ。いつの間にか、父の遺影が消えていた。
 だけどこの男は、母が居なくなると豹変した。私を奴隷のように扱った。私の汚れた写真を床に並べ、色んな事を要求した。考えられるありとあらゆる奉仕をさせられた。私の身体は汚れて行った。どんなに洗っても取ることは出来ない。男は母からもらった金が尽きると、知らない男を連れてきて、私に寝るように強要した。隣の町のはずれにあるラブホテルに出向くのだ。顔がばれないという配慮は、長く続けて行く為だったのだろう。一日一人の時もあれば、三人の時もあった。たまに一度に二人と言うときもあった。私の高校三年の夏は、数々の男たちのセックスにまみれていった。
あの時、もっと大きな声を上げていたら、私はこれほどのものを失わずにすんだのかもしれない。淡い恋。たくさんの友達。セックスをした相手の一人が私だと気が付き(同級生のお兄さんだった)噂になった。好きだった男の子からは「さよなら」と短い手紙をもらった。仲の良かった友達は、私と目を合わせるのをやめた。そしてみんな私から離れて行った。
 高校を卒業して就職して、一人暮らしをしようとしたけど、あの男はそれを許さなかった。既に決まっていたアパートを無理やり解約させた。そして暇さえあれば、私をつけまわした。帰宅時間を見計らい、職場の前にいつもいた。休日の外出は許してはもらえなかった。母が居る時は常に三人一緒の美しい家族で、母が仕事の時は、知らない男と寝る事を強要された。そして客が見つからない時、男は私を抱いた。
そのせいで、彼氏はもちろん、新しい職場の友達さえ出来なかった。給料は全てむしり取られた。
ずっと声を上げるべきだと思っていた。誰かに何処かに訴えるべきだったと。でもあの時、私の中の何かが麻痺していたんだと思う。母への想いも確かにあった。でも他の何かが私に抵抗する力を失わせていた。それが何であったのか、今ではおぼろげに解っている。だから私は、是が非にでも抜け出す必要があったんだ。

玄関のチャイムが鳴った。TVモニターに男が立っていた。深い帽子をかぶってサングラスをしていた。密かに動き、人目を忍んできている。そんな風貌だった。私はモニターを見つめた。誰だかわからない。
「誰?」声が震えた。部屋が静かで私の心臓の音しか聞こえなかった。
「私だ」とその声は言った。機械的な音が混じって誰だかわからない。
エントランスの郵便受けに、名前は出していない。住民票も書き換えていない。ここがあの男にわかるはずはないのだ。全てに偽名を使っている。鮎川さんが裏切らない限り私は、安全なのだ。サングラスの奥からこちらを見ている。私を見透かしている。とうとう見つけたという目をしている。そんな気がする。男は黙っている。視線だけがカメラ越しに届く。
「誰?」ともう一度言ってみる。エントランスホールに私の声が響く。その音に男が反応する。男はモニターに顔を近づけ、小さな声で「柏田だ」と言った。
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# by haru_ki_0207 | 2011-03-06 16:30 | SNS  

SNS(その7)結婚

◆7 結婚
朝、私は鮎川さんの腕の中で起きた。鮎川さんは小さな寝息をたてて、ぐっすりと眠っていた。私は鮎川さんを起こさないようにそっと布団を出た。裸だった。私は布団の中でくしゃくしゃになっていた浴衣を着て、朝風呂に出かけた。湯船に、アユミが居た。「おはよう」と言って隣に腰を下ろした。
アユミはちょっと恥ずかしそうな照れ笑いをしながら「おはよう」と言った。
「昨日は、酔っぱらっちゃった」と私は言った。
「みたいね。私も、あんまり覚えてはいないんだ」
「私も」
嘘だった。私もアユミも明確にそれを覚えている。アユミの喘ぎ声が耳の奥にこびりついている。
「どうだった?」と私は聞いた。
「うん」と言ってアユミはうつむいた。そして顔を上げ私の方を見て
「良かったよ。とても良かった。混ざり合った気がした」と言った。
「ドロドロに?」と私は聞いた。
「うん。サラサラではなくて、ドロドロに」
「アユミのエッチ」
「ミチルの変態」
私達は、湯船の中で身体を寄せ合った。
「良かったね」と私は言った。
「良かった」とアユミは言った。
 でも、私の中で本当に良かったのかどうか、よくわからなくなっていた。転がる石のように物事は進み、私の手には負えなくなってしまっている。そんな気がした。

アユミと柏田さんの結婚式が執り行われたのはそれから半年後の事だった。結婚式には流石、柏田さんだけあって、そうそうたる企業のお偉いさんがたくさん来ていた。アユミの家柄も申し分なかった。誰も歳の差なんて気にしなかった。二八歳と四五歳。いまどき、よくある話だ。そしてこれもやっぱり柏田さん。新婚旅行はヨーロッパ一周。二十日間。人生で最初で最後のイベントなのだ。奮発するだけ奮発する。そんな感じだった。私達はそのド派手な結婚式に二人で呼ばれて鮎川さんは慣れないスピーチまでしたが、終わってしまうと嵐が去ってしまったみたいに静かになって、二人、家路に着いた。鮎川さんはちょっと寂しそうだった。
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# by haru_ki_0207 | 2011-03-03 14:59 | SNS  

SNS(その6)旅行

◆6 旅行
良く晴れた土曜日の朝、私達四人は柏田さんの車に乗って、温泉地へ向かった。最初、緊張していたアユミと柏田さんも、すぐに打ち解けた。
旅館へ着くと、私達はそれぞれの部屋に荷物を置いた。アユミと私が同じ部屋で、鮎川さんと柏田さんが同じ部屋だ。
二人で露天風呂に入るとアユミはとてもリラックスしているように見えた。
「ねえ、どう?柏田さん」私がそう聞くと
「感じの良い人ね。おしゃれだし。それにいかにもお金持ちって感じだね」
と言って赤くて長い舌を出した。
「そうね。車はメルセデス、時計はロレックス。嫌味はないけど、持ってるって感じだよね」と私は言った。おしゃれというのは私のお陰だけど。
時刻はまだ午後三時で太陽の光がアユミの白い肌に淡く射した。アユミの肌に影が出来て、なお一層、スタイルの良さを際立たせた。
「来てよかった」とアユミは言った。
「その後、マサト君はどう?」と聞いてみたけど
「別に、もうどうでもいいわ」とアユミは言った。
タフで立ち直りが早いのだ。

食事は、鮎川さん達の部屋で一緒にとった。別々の部屋と言っても、私たちの部屋とは襖一枚で繋がっていて、襖を開けると広い一つの部屋になった。
私は鮎川さんの隣に座った。必然的に柏田さんの隣がアユミになった。テーブルは奥行きがあって、料理が隙間もないほど並べられ、私達とアユミ達との間には、国境みたいな隔たりがあった。アユミの肌は、日本酒を飲むと淡く赤くなった。その事を私が冷やかすと、アユミはとても照れた。
「鮎川さんは、酔うとどうなるんですか?」とアユミが話題を鮎川さんに向けた。
「どうにもならないよ。ちょっと陽気になるだけかな。それにそれほど強くはないし」
「柏田さんは、お酒強そうですね」と今度は私が柏田さんに振った。
「そうだね。職業柄、強くもなるね。接待したりされたり」
「そういうの、カッコいい」とアユミが言った。
「かっこいい?」ちょっと照れて柏田さんが答えた。
「ええ。仕事の出来る男って感じで」
私は、一瞬、鮎川さんを見た。ちょっと寂しそうな顔をしていた。
「ミチルはどうなるの?」とアユミが言った。
「私?私はお酒、あまり飲まないわ。それにたくさん飲む人、それほど好きじゃないし」
「お酒に、嫌な思い出あり?」と柏田さんが聞いた。
「嫌な思い出というよりは、嫌な体験かな」
「え?どんな体験?聞きたい!聞きたい!」アユミの無邪気な声。目がとろんとして、もうすでに酔っている。
「楽しい話じゃないわ。私の父がお酒を飲むと、人が変わってしまうという話し。何処にでもある話しよ。私の母は再婚したの。私の本当の父が亡くなってしばらくたってから。私が高校生の時だったわ。その時母は四十歳でその男は一回りも年下。いつも酔うと気が大きくなって、乱暴するの。そんな話。最近まで一緒に暮らしていたわ。私の給料のほとんどをむしり取ってしまうの。最低の男だったわ。私のね、初体験の相手ってその男なの。母が居ないときに。抵抗出来なかったわ。母にも言えなかった。ごめんなさい。こんな話」
鮎川さんは、「もういいよ」と言って私の肩を抱いてくれた。いい匂いがした。何とも言えず安心出来るにおい。私は鮎川さんの胸に顔をうずめて泣いた。そんな事初めてだったけど、一度泣いてしまうと、止めどなく涙が流れてきた。鮎川さんは私の背中に手をまわして、ずっとさすってくれた。あたたかかった。ゆっくりと、こみ上げてきた。胸の奥に眠っていた塊。それが溶け出して、上がってきた感じ。欲しくなった。どうしようもなく、本当に欲しくなった。鮎川さんの唇。いつも触れているのに。
私はアユミの見ている前で、鮎川さんの首筋にキスをした。首筋は熱く私の唇もさらに熱くなった。私は鮎川さんの首や耳や顎や頬を熱くなった唇で吸った。音が部屋に響いた。そして鮎川さんの唇にキスをした。アユミが見ていると思ったら、また一つ、何かがはずれた。そしてさらに私は鮎川さんの唇を求めた。鮎川さんに舌を絡めると、ちょっぴり日本酒の味がした。その甘美な液体を私は舌で求め吸い続けた。切ない音が広くて静かな部屋に響いた。私は鮎川さんに向き直り、鮎川さんの頬を両手で覆い、唇を貪った。私は鮎川さんに馬乗りになった。そして、ねっとりとしたものを求めた。私の荒い呼吸がこだまして私の耳元に届いた。その音を聞くと、尚更に興奮した。見られてる。そう思うと下半身が熱くなった。私の股間に鮎川さんの太ももが当たった。私はその太ももに、熱くなったものを押し付けた。こすり付けた。欲望の赴くまま、私達は絡み合った。視線が痛かった。アユミが見てる。私達は、崩れ落ちるように横になった。そして何度も何度も絡み合って、敷かれた布団にたどり着くと、その中にもぐりこんだ。

「カチリ」という乾いた音がした。さっきまで明るかった部屋が薄暗くなった。私は布団の中から、アユミ達を見た。柏田さんの顔とアユミの顔が重なり合っていた。柏田さんの腕が、アユミの首に絡まっていた。アユミは身動きが取れず、かといって抵抗もせず、身を任せていた。鮎川さんの手が、私の浴衣を脱がせた。そして大きな手が私の胸をわしづかみにした。痛いほどの快感が身体に流れて、私は大きな声を出してしまった。柏田さんの手が、アユミの胸をまさぐっていた。でも、上手く届かない。アユミは自ら体を入れ替え、柏田さんの手を自分の胸に導いた。アユミの短い喘ぎ声が聞こえた。その声に私の興奮も増した。私達は音楽を奏でるみたいに、高めあった。それは柏田さんとアユミが隣の部屋に行って、襖が閉められても、続けられた。
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# by haru_ki_0207 | 2011-03-03 14:55 | SNS  

SNS(その5)ドロドロ

◆5 ドロドロ
マサト君とのメールのやり取りも佳境に入ってきた。
「つきあってる女性がいるんだ」
「そうなんだ。私も」
「そっか。どんな人?」
「年上かな。随分。でも、良い人。マサト君は?」
「ああ。良い娘だよ。綺麗だし」
「綺麗なんだ。良いね。他には?良いところ」
「綺麗以外、だよね?他には、そうだな。何かあるかな」
「そんなに綺麗なんだ。他の良いところが霞むくらい」
「そうかな。いや、決してそんな訳じゃないんだ。他に、あの女の子に良いところがあったけなと思って」
「それって、ひどいよね」
「そうだね。確かにひどい。でも、思いつかないんだ」
「たとえば、髪は?髪型とか気に入ってる?」
「どんな髪型をしてたかなんて、思い出せないよ」
「いつも、デートでどんな事をしてるの?」
「マンションに行って、ご飯食べて、寝る」
「夫婦みたいじゃない」
「そう、長年連れそった夫婦みたいなんだ」
「相性が良いんだよ」
「いや、相性は関係ないと思う」
「そうかな。じゃあ、何が原因かな。そのセックスしない理由」
「明確なんだよ。理由は」
「それは、何?」
「それは言えないな」
「他に彼女が居るとか?」
「どうかな」
「良いじゃない。教えてよ。そういうやり方良くないよ。もったいぶるの」
「そうだね。でもこういう微妙な事、メールではなかなか伝えられないよ」
「微妙なんだ」
「そう、とても微妙。顔を見ながら話したい」
「顔を?会うって事?」
「そう、あって、少しずつ、正確に話したい」
「もっともな理由だね」
「とりあえず、何をするにしても理由が必要でしょ」
「その通り」

 次の日、私はいつもの場所で、アユミと待ち合わせをした。仕事帰りのアユミは少し疲れた顔をしていた。それが一日の仕事の疲れのせいなのか、マサト君のせいなのかはわからなかった。でも、私へのすがるような眼差しに、私は心の中で優越感をおぼえた。
「マサト君に会ってみようと思うの」私は言葉を選ぶようにゆっくりとに言った。
アユミは小さくうなずいた。
「もう、そんな関係になったの?」アユミは少し不安そうだった。
「会いたいって、私から誘ったの。そしたら、僕も会いたいって」私は嘘をついた。アユミは下を向いて、何か言葉を探しているようだった。でも、何も適当な言葉が出てこない。

「良いかしら?」と私は聞いた。アユミはもう一度、うなずいた。
「変な関係にはならないでね」とアユミは言った。
「ならないよ。もちろん、アユミに頼まれた事も、もちろん黙ってる。マサト君、ちゃんとつきあってる彼女が居るって言ってたよ」
アユミは顔を上げて、その日初めて笑顔を見せた。

「他に彼女が居るって言ってた?」
「それはまだ、わからないの。決定的じゃないの」
「でも、ミチルには会うんだね。男って、何を考えてるのかしら」
「会うの、辞めておいた方が良い?」
「大丈夫。決着、つけたいし」
私が介入することで、より複雑になったアユミとマサト君の関係。でも、全ては私が握っていた。私だけがアユミの細い首に手を置くことが出来た。あとは私次第なんだと思った。


一週間後、アユミと再び会う約束をした。スタバに着くと、まだアユミは来ていなかった。約束の時間の十分前。私は暇なんだ。そして時間通りにアユミは来た。アユミの顔は少しやつれてみえた。そして実際にやつれていた。でもそれが、とても色っぽかった。虚ろではかなげな顔。アユミは私を見つけると力なく笑い、私の前に座った。そして小さくため息をついて、私の手を握った。

「昨日、マサト君に会ってきたよ」と私は言った。
「知ってる」とアユミが答えた。小さな沈黙があって「そうなんだ」と私は答えた。
「マサト君から、連絡があった。おまえとは別れたいって」アユミの小さな声。
「うん」
「もう、終わりにしたいって」
「理由、言ってた?」
「好きな人が出来たって」
「うん」
「でも、それが誰だかは教えてくれなかった。ねえミチル、それはミチルじゃないよね?」控えめに、でも責めているようなアユミの声。
「違う。マサト君、他の誰かに相談したかったんだと思う。自分の気持ちを言葉にして、誰かに聞いてもらって、確認したかったんだと思う。だから、私に会ったんだよ。ただ、話を聞いてもらいたくて」
アユミの長い髪が頬にかかっていた。そして、目にいっぱいに溜まっていた涙が、頬を伝った。
「私たち、別れちゃったんだ」そういうと、また一筋、頬を伝った。
「私のせいかな」私まで泣きそうだった。
「違うよ。ミチルには感謝してる。なんだかね、そうなるんじゃないかって思ってたんだ。結論が早く欲しかった。だから感謝してるよ」
「そういう風に言ってもらえると、気が楽になる」
「うん」
「ありがとう」
「ミチルは悪くないよ。悪いのは……、誰だろう?私かな。マサト君を繋ぎ止められなかった、私の魅力の無さ」
「それは違うよ。アユミは十分魅力的だよ。ただ、マサト君にはアユミの魅力がちゃんと理解出来なかっただけだよ。だって」
「だって?」
「彼はまだ若いし、余裕がないのよ。見えてないの。自分の事で精一杯で。言ってしまえば子供なのよ。確かに見てくれは良いけど、中身が伴ってない感じがした。こんな事、アユミに言うのは酷かもしれないけど。アユミはさ、もっと年上の人と付き合った方が良いよ」
「ミチルの彼みたいな?」
「そう、鮎川さんみたいに、ちゃんと理解してくれる大人の男」
「そんな出会いないよ」
「アユミなら、歩いただけで声を掛けられるんじゃない?」
「もう、それほど若くはないわ。それに今はそんな肉食系の男子はいないわよ」
「誰か、紹介しようか?」
「今は、そんな気分じゃないな」
「新しい恋が辛い事を忘れるには一番だよ」
「そうだけど」
「アユミはさあ、マサト君とのセックスに満足してた?」
「してたと思う」
「ちゃんとマサト君の事、理解できてた?」
「理解って?」
「セックスってさ、綺麗なものじゃないと思うんだ。好きな人同士がする行為だけどさ」
「うん」
「ドロドロしていて、色んな液で溢れているのよ」
「そうだけど、そんなふうに考えたことない」
「もっと綺麗なものだと思ってる?」
「うん。普通に抱きあって、するものでしょ?」
「そうじゃないの。本当のセックスは、もっと色んなものが混ざり合うものなの」
「ただの挿入ではなくて?」
「そう。ただの挿入なんかじゃないし、二人でもっと向き合ってやるものなの。ペニスがヴァギナに入るだけじゃないの。愛液と精液が混ざりあって、アユミの中で混ざり合って、それは、愛だとか恋だとかは関係なくなって、ただただ、快楽だけがあって。色んな他のネバネバする液体同士がドロドロに混ざり合って、手や唇や舌を使って、お互い刺激し合って、たくさんそういうものを出し合って、混ぜあって、ぐちゃぐちゃにして、果てるだけ果てて。そしてその先に快楽以外の理解みたいなものが、芽生えたりの」
「なんだかすごい。聞いてるだけでぞくぞくする。ミチルはいつもそんなセックスをしてるの?」
「もちろん。相手を理解して、癒してあげるために必要な事だから」
「私、してないかもしれない。そんなセックス」
「ドロドロじゃなかった?」
「いつも、サラサラだった」
「サラサラかあ」
「そう、サラサラ」
アユミに笑顔が戻った。キラキラした瞳。頬杖をつきながら通りを見ている。夜の街は灯りに満ちていた。

「今度さ、私達、温泉旅行に行くんだ」と私は言った。
「鮎川さんと?」
「そう。鮎川さんと」
「うん」
「この前、行った温泉、静かで雰囲気も良くて、また行きたいねって言ってたんだ」
「うん」
「良かったらさ、四人で行ってみない?」
「鮎川さんとミチルと私と誰かで?」
「そう。鮎川さん、顔広いし。鮎川さんの友達を交えて」
「年上のドロドロと?」
「うん、たぶん、年上になると思うけど」
「いきなり?」
「わからないけど」
「こわいな」
「それは大丈夫だよ。私達も一緒だし、いきなり変な事にはならないだろうし」
「部屋は私とミチルが一緒だよね?」
「もちろん」
「でも鮎川さん、がっかりするよ」
「それは大丈夫。多い方が楽しいし」
「そうかな?そんな人?」
「そう。そんな人。鮎川さんに聞いとくから」
「うーん」
「行こうよ」
「考えとく」
「うん。考えといて。まだ時間はたっぷりあるし」
家に帰ってあそこを触ると、たっぷり濡れていた。その日の夜、一人でした。とても久しぶりに。

二週間後、アユミは私の提案に承諾した。毎日マサト君と顔を合わせるのは、辛いと言って、最後はアユミの方から頼まれた形だった。鮎川さんも私の提案にはとても乗り気だった。私を自分の友達に紹介する事が嬉しくてたまらない、そんな感じだった。
独身で戸籍の綺麗な鮎川さんの高校の時の同級生、柏田さんは、大手外食チェーンの取締役。私達はアユミを柏田さんに紹介する前に三人で会った。柏田さんは真剣だった。そしてアユミの写真を見せるとより一層、身を乗り出した。
「綺麗な人ですね」と柏田さんはため息をつきながら、写真を握りしめて言った。鮎川さんも写真を手に取ったけど、たいして興味がなさそうに「ミチルも綺麗だよ」と言ってくれた。
「あ、ごめんなさい」と柏田さんは私に向かっていった。
「良いんですよ。気にしなくても」と私は言った。
「そういう意味ではないんだけど」と申し訳なさそうだった。
そういう態度を取られる方が意識してしまいそうだったけど、現実問題として、アユミは私よりも遥かに綺麗だった。

「アユミは私と同じ二八歳だけど、幼い部分があるんです。だから」
「だから?」柏田さんは、再び身を乗り出して、私の次の言葉を待った。
「だから、安心させてあげてください。大人の魅力で」
「大人の魅力ねえ。仕事は自信あるんだけど、女性に関しては素人だからな」
なんとも頼りない柏田さんの返事に私は
「しっかりして下さい。レクチャーしましょうか?」と言ってからかった。
柏田さんは、いつも人に指図をしている。そんな印象だ。だから、鮎川さんよりも大人に見えた。言ってしまえば、四五歳そのものだった。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
「まずは、その服装、どうにかした方が良いですよ」と私は指摘した。だけどそれはファッションとさえ、呼べなかった。
「明日、一緒に見に行きましょうか?」と私は提案した。
「心強いね」と柏田さんは言った。鮎川さんも苦笑いしていた。
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# by haru_ki_0207 | 2011-02-28 00:12 | SNS  

SNS(その4)鮎川さんの心

◆4 鮎川さんの心
一週間が過ぎた。鮎川さんの日だ。買い物を済ませ、昼過ぎに合鍵を使ってマンションに入り、掃除をして、夕食を作り彼を待つ。たったこれだけの作業に彼は金を払う。セックスをする日もあればしない日もある。私を囲わなければ、贅沢さえしなければ、働かなくても暮らしていけるだけの収入はある。だけど私を手に入れて、普通の生活を維持するために、働いている。たいして大きくもない会社の営業。年齢の割には少し安い給料で働いている。もっと効率のいい暮らし方がありそうなものだけれど、彼はそうしている。
友達は多い。これが私と決定的に違うところ。だから鮎川さんは、自分の友達に私を紹介したがっている。もちろん愛人契約の事は伏せてだけど。
私は友達が少ない。アユミが唯一と言っても良いかもしれない。そのアユミでさえ、最近やっと、友達と呼べる関係になったんだ。現実的な同性の友達。その友達のために私はひと肌脱いでいる。マサト君にコンタクトを取り、メールで彼の内心を探っている。

「鮎川さんの友達に独身の人いる?」
私は未だに鮎川さんと呼んでいる。下の名前は知ってるけれど、どうしても呼ぶことが出来ない。「あゆかわ」という響きも好きだ。
「同級生が何人か居るよ。結構みんな、出世してるんだ。僕の出た高校はね、進学校だったんだよ。だから、社長や取締役になってるね。僕も中学生までは成績良かったからさ。それなりの高校に入れたんだ。まあ、今はあまりあれだけどな」
鮎川さんは自分の事を僕という。育ちが良いんだ。私とは違うところ。正直で謙遜なところも鮎川さんの良いところ。きっと前の奥さんもそんなところが好きになったんだと思う。ある意味、養子向きなんだ。でも決定的な欠陥があった。

「今でも奥さんに会ったりする?」
鮎川さんは一瞬固まった。聞いちゃいけなかったのかしら?地雷ふんじゃった?
「どうして、急にそんな事聞くの?」
「深い意味はないよ。ただ、なんとなく、まだ、奥さんは鮎川さんの事好きなのかなと思って。だって嫌いになって別れた訳じゃないでしょ?」
「僕は、嫌いになったよ。養子だったし、見合いだったけれど、でも、好きだった。初めて本気で好きになった人だった。だから、あんな理由で、関係を簡単に終わりにして欲しくなかった。戦って欲しかった。抵抗して欲しかった。でも、彼女はたった一度も、僕の味方をしなかった。それは仕方のない事だと割り切った。気持ちなんて、無意味なものだと。大切な事は継承だと本気で思っていたんだ。ショックだったよ。今まで信じていたものが、全部間違いだと知らされた。簡単に捨てられた。彼女にとって、それは考慮の余地さえない事だったんだ」
私は鮎川さんの頭を胸に抱き寄せた。使えないとわかったら、まるで雑巾でも捨てるみたいに簡単に捨てられた鮎川さん。まだ、癒えていないんだと思った。ちゃんと傷ついていたんだ。私にお金を払うことで、鮎川さんは私を傷つけようとしているのかもしれない。そうやって、バランスを取っているのかもしれない。だとしたら、それはそれで構わない。私は、自分の役目を見つけた気がした。

「大丈夫。私も同じようにたくさん傷ついてきたから」
鮎川さんは私の胸の中で少しだけ、反応した。何かに応えようとした。私は彼の頭を抱いて、頭に唇を付け、強く抱きしめた。
「特に意味はないから」と私は言った。
「私の言う事なんて、気にしないで」
その日は朝まで、ずっと鮎川さんを抱きしめた。
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# by haru_ki_0207 | 2011-02-27 23:42 | SNS  

SNS(その3)リアル

◆3 リアル
お腹を満たして横になっている鮎川さんを見るのが好きだ。それは正しい姿勢で眠る正しい生き物みたいに見える。正確な呼吸をし、正確な時を刻んでいる。少しずつ、確実に。年齢より綺麗な肌。きっと普通の人よりは老化の速度が遅いのだろう。年は離れているのに、違和感はない。時々、父の面影を追っているのかもしれないとも思う。父が生きていたら、今とは随分違った人生になっていたはずだ。その事はどうしようもないことなのだろうけれど、でも、いつも、もしもと、思うのだ。
だからなのだろうか。鮎川さんを抵抗なく受け入れる事が出来たのは。正直なこの男は、無欲で野心もない。私の母親が再婚した相手とは正反対だ。あの男ときたら、貪欲で何でも欲しがり、そのくせ何の計画性もなく、ただただ欲望の赴くままに生きている。そんな男との共同生活からやっと抜け出せたのも、鮎川さんのおかげだ。
鮎川さんと私は、この先どうなるのだろう?このまま、一生を愛人として過ごすのだろうか。子供が出来ないという欠陥を抱えた男と私はずっと一緒に生きていくのだろうか。この奇妙な愛人契約を結びながら、いつかは一緒になるのだろうか。解っている。こんなことが長くは続かない事は。今は人生の踊り場に過ぎない。ちょっとの間だけ、楽をしているだけだ。そして人生を楽しんでるだけなのだ。産まれて初めて。
猶予。
私も深い眠りに落ちようとしていると、アユミからメールが来た。アユミだけの特別な着信音。だからすぐにわかる。覚醒された脳みそを揺さぶりながら、ディスプレーを見た。
「もう、私たち、無理かも……」
マサト君と何かあったのだろう。最近、あまり上手く行っていないと言っていた。約束の時間も守られていなかった。理由があるんだ。どんな結果にも原因がある。それが、私が今まで生きてきて得た数少ない教訓の一つだ。でも、これだけの情報では、何とも答えようがない。
「大丈夫。彼を信じようよ。まだ、わからないじゃない」と、とりあえず返信。
アユミが何か他の情報をくれるだろう。次のメールを待つしかない。私はセックスの後の気だるい身体に鞭を打った。不吉な予感がした。何かが変わる予感。私の中で。この瞬間に、時の結び目があって、変化が起こっている気配。急に性欲が沸いてきた。ふつふつと。頭はボーっとしているのに、ある部分だけ冴えてる。いつか体験した感覚。隣の鮎川さんは小さな寝息を立てている。私は鮎川さんの身体に腕を回した。鮎川さんは私に向き直って私を抱き寄せた。
「もう一度抱いて」私は鮎川さんの耳元で言った。自分の言葉で私は濡れた。今までにないくらいたくさん。

朝、アユミからの返事は来ていなかった。鮎川さんと一緒にマンションを出ると、私は家路についた。徒歩で二十分。最初に鮎川さんが教えてくれた。これも律儀に正確。一度歩いて測ったらしい。そのとき、どんな気持ちで鮎川さんが歩いたのかはわからなかった。彼は今、幸せなのか。プライドとは縁遠い人。可哀そうな人。でも可愛い人。利用されることに慣れているのか、自己主張がないのか、いずれにしても使われる側の人。そしてそんな男に私は囲われている。この立派な社会の仕組みから生み出される不労所得で。
その事に何の感慨もなかった。特に悲しいとも思わなかった。ただ出口が必要だった。一人で立って歩けるだけの力が必要だった。シフトしなくてはいけない。何らかの方法で。いつまでも鮎川さんに囲われているわけにはいかないのだ。でないと、いつまでも鮎川さんと対等に話も出来ない。でも今は家に帰ってシャワーを浴びたかった。そしてもう一度、頭の中を整理する必要があった。
主婦のために作られた害のないテレビ番組を見ていたら、いつのまにか夢の中に居た。夢の中で、誰かが私の為に料理を作ってくれた。私は食べたくなかったのだけど、出来上がったものを見たら、無性に食べたくなった。でも、箸もフォークもナイフもスプーンさえも無かった。仕方なく手で食べようと決心したところで、目が覚めた。携帯にメールが来ていた。アユミからだった。

「マサト君。彼女が居るみたい」
月並みな展開だった。送信時間を見た。十二時四十分。アユミは昼休みにメールを送信したのだ。今、五時十分。随分時間が経っている。寝てた、なんて言えない。鮎川さんに養ってもらってる事をアユミは知らない。知られたくない。僅かな私のプライド。アユミにだけは、対等で居たい。

「ごめん。ずっと会議中だった。大丈夫?」
慌てて打つと、仕事中にも関わらず、すぐに返事が来た。
「今日、会えないかな?」
ドキッとした。いきなりこんな展開?アユミと会う。初めて会う。顔は知っている。何度も見てきた。でも実際に話した事はない。声も知らない。でも会う。今から。きっと相談。マサト君の事。どんな展開?わからない。でも……。

「良いよ。今夜は予定ないから」
「良かった。残業ないから、七時には出られる」
「わかった。どこで会う?」
「じゃあ、ミチルがいつも使っているスタバで」

 今夜、というか、予定はいつもない。ただひっそりと暮らしているだけだ。あいつに見つからないように。ただ、兎に角、私はシャワーを浴びて、髪をとき、化粧をした。そして鮎川さんに初めて会いに行ったときと同じ服を着た。私が持っている中で一番気に入っていて、一番高い服だ。それ以外にはこれと言った服を持たない。興味がない訳じゃないんだ。ただ、持ってないだけ。余裕がないだけ。今の優先順位の一番が貯金なだけ。そしてその先には自立があるんだ。

アユミは七時を少し過ぎてやってきた。きっちりとしたスーツ。仕事の出来る女性といった感じ。写真で見るよりも数段綺麗。とても男の問題を抱えているようには見えなかった。
アユミは私に近づき、大輪の花のような笑顔を見せ、すぐに涙ぐんだ顔になり、キャラメルマキアートを手に持ちながら、私に携帯電話で撮った写真をいきなり見せた。
「どうしたの?これ」と私は聞いた。
「マサトの携帯の中に入ってた。それを私の携帯で撮ったの」とアユミは言った。
その画像は、マサト君と彼より幾分若そうな女性が、頬と頬を密着させ、意味のある含み笑をお互いしつつ、携帯で自分撮りしていた。
「これがマサト君?」と私は聞いた。一度送ってもらった写真とは印象が違って、彼は随分と野性的だった。草食系では決してなく、間違いなく肉食系の顔だ。
アユミはうなずいた。アユミの長い髪が小さく波打った。綺麗な髪だと思った。そして良く栄養が行き届いている。
「隣の女は?」
アユミは首を横に振った。髪がテーブルの上に落ちた。光沢があって弾力があった。彼はこの綺麗な髪に気が付いているのだろうか。ほめた事があるのだろうか。
「綺麗な髪」
「え?」
「アユミの髪。黒くて豊かでしなやか」
「ありがとう。でも、誰も何も言ってくれない」
「誰も気が付いてないんだね」
「そう、毎日手入れしてるのに」
その髪を触りたい衝動に駆られた。変な感情。でも触れたい。アユミを安心させて上げたかったから?
「あ、私たち、初めましてだね」
「うん。そうだね。全然そんな感じしないけど」
「アユミ、って呼んでいいのかな?」
「私もミチルって呼ぶ」
メールでは何度も話したけど、会ったことも話したこともなかった二人。少し、現実的になった。そしてアユミは現実的な提案をしてきた。

「マサト君に聞いてくれないかな?どっちを選ぶのかを?」
「え?だって私、マサト君の事、知らないし」
「SNSのアドレス、教えるから。友達になるの、簡単でしょ」
確かに簡単だった。ネットの世界で、女が男に近づくこと程簡単なことはない。女が圧倒的に有利なのだ。そして現実世界では、同じくらい圧倒的に女が不利だ。これも教訓のひとつ。
「私がマサト君に近づいて、他人のふりをして本心を探るっていう事ね?」
アユミは自分を説得するようにうなずいた。
私はその夜、早速検索をしてみた。そして簡単にマサト君にたどり着いて、非現実世界の友達になった。

ネットの世界で男ほど簡単な生き物はいない。そう思った。
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# by haru_ki_0207 | 2011-02-27 22:44 | SNS  

SNS(その2)鮎川さん

◆2鮎川さん
私は一日の始まりを、スタバで過ごしている。これはいつもの習慣。タンブラーをバックに入れて家を出て、開店したばかりの店内に入る。客もスタッフも僅かだ。知った顔のスタッフ。でも必要以上の挨拶をしたりはしない。スタバカードで支払い、タンブラーにコーヒーを注いでもらう。そしてショーウインドウの一番端の、外からは目立たない場所に座る。外を見ると急ぎ会社に向かう人の群れが見える。ショルダーバックを小脇に抱え、ハイヒールをアスファルトに突き刺しながら歩くOL。ヨレヨレのスーツを引きずるように歩いている若いサラリーマン。新調したばかりのスーツを着心地が悪そうに歩く中年の男。交差点で信号待ちをしている人たち。見知らぬ者同士が、一堂に横一列にたたずんでいる。その組合せは、天文学的数字のはずなのに、運命的だと感じているひとは誰も居ない。そして信号が変わると一気に横断歩道になだれこむ。工場のような、いつもの風景。
かつては私も、この中の一人だった。そして、いつかはこの中から抜け出したいと思っていた。単調で、同じ時間に同じ場所に向かって歩き、同じことを繰り返す世界から、一日も早く抜け出したいと願っていた。私を支配する全てのものから自由になりたいと思っていた。そしてその機会は突然やってきた。鮎川さんと知り合ったのが三ヶ月まえだから、丁度二ヶ月前の事だ。

「僕の愛人になってくれませんか?」
何度もメールを交わして、何となく良いなと思い始めて、価値観みたいなものも合って、何よりも彼が書く穏やかな文章が気に入って、気持ちが傾いてきて温めて、いや温めあって、運命的なものも感じ始めて、どんどん加速していって、お互いの顔写真を交換したりして、その後の最初のメールがそれだった。正直、最初はがっかりした。愛人?恋人ではなくて愛人?
「まだ、会ってもいないのに、いきなり愛人だなんて……」
「ごめんなさい。大変失礼しました。でも、僕、子供が出来ない身体なので……」

その素直で馬鹿正直な男が、鮎川さんだった。
鮎川さんは、四十五歳で独身。写真を見たけど、とても四十五歳には見えなかった。とはいえ、二十八歳にも見えなかった。何処かで、過ぎてしまったのだろう。若いという山を越えて、老いという坂道を歩き始めた。でも、何処で過ぎたのかは、わからない。

「どうして、子供が出来ないの?」聞いてはいけない事なのだろうけど、前に進むしかなかった。
「精子が少ないみたいなんだ。見合いして、結婚して、でも子供が出来なくて、調べてもらってわかったんだ。努力したけど結局は無理で、そしたら妻の実家から一方的に離婚させられた。だから、ちょっとはお金を持っていてる。でも、結婚は無理で、だから、恋人も無理で、恋人ってその先に結婚があるから恋人でしょ?だから……」
新説だと思った。結婚があるから恋人。独身同士の恋愛でも、結婚がないなら愛人?
「鮎川さんって、正直な方なんですね。ごめんなさい。変な事、聞いてしまって。嫌な思いをしたでしょ?」
「いや、良いんだ。それに、こんなことは、最初に言っておかないと、後からだと言いにくくなるし」
「で、いつ会いましょうか?待ち合わせはわかりやすい場所がいいな。私、方向音痴だから」
■野イチゴ
初めてのデートは、鮎川さんの住んでいるマンションだった。海の近くのタワーマンション。隣の市の、誰でも知ってる場所だった。
エントランスホールには、制服を着た受付嬢が二人いて、ガードマンが一人いた。天井は高く、大きなシャンデリアが床を照らしていた。壁は大理石で、所々にポップアートが飾られていた。エントランスホールに面してクリーニング店と美容室、コンビニまであった。そしてその奥にセキュリティーシステムがあり、鮎川さんの部屋の番号を押すとインターフォン越しに「はい」という声がした。初めて聞く鮎川さんの声。低くて心地良かった。何故かちょっと安心した。カメラを見ずに「ミチルです」と言うと、自動ドアが静かに開いた。さらに奥に進むとエレベーターホールがあり、さっきのエントランスホールよりもシックなデザインが施されていた。そして重厚な扉のエレベーターが三基、一番奥にあった。そのエレベーターに乗り込むと二五階の鮎川さんの部屋まで、あっという間に着いた。

玄関のドアを開けると、鮎川さんが出迎えてくれた。初めて会う鮎川さんはとても穏やかで、優しい笑顔で、でもとても緊張していた。私の方がリラックスしていたのかもしれない。
リビングのドアを開けると、直ぐに大きな窓が目に飛び込んできて、海が一望出来た。水平線がくっきりと見えその手前を大きな船が横切っていた。なんだか少し、自分が偉くなった気がした。私は促されるまま、リビングの真ん中にあるソファーに座った。鮎川さんは大きなアイランドキッチンの前に立つと、
「ここは、慰謝料として、もらったんだ」とコーヒーメーカーに豆を入れながら言った。まるでコーヒーメーカーに説明しているみたいだった。
「眺め、良いですね。すごい雲」
私は、水平線の上に湧き上がった積乱雲を見ながら言った。だけど、それに対する答えは何もなかった。やがてコーヒーの良い香りが部屋中を包み、そうする事が前もって決められてたかのように、沈黙が訪れた。ただ、うるさく動いているのはコーヒーメーカーだけだった。
 完ぺきな沈黙が訪れると、鮎川さんはコーヒーを持って私の斜め前に座り「ここに来て五年になる」と私と同じ方向を見ながら言った。積乱雲は怒ったように天に向かって成長を続けていた。私は海を見つめる鮎川さんの横顔を見た。初めて鮎川さんの顔をしっかりと見た。そして五年も経つんだと思った。
「このマンションには新築で、住み始めたんですね。有名な建築家が設計したんですよね。テレビで見たことあります。こんな高価なマンションに住める人が居るんだなって、いつも思ってました」と私は言った。五年前だと私が二三歳の時だ。若かっただけで、今とやってることは何も変わらない。
「高いよ。びっくりするくらい高い。でも、金なんて、汗水たらせば貯まるものではない。やり方を知っている人のところにしか入ってこない。最低なのは、僕がその連中から恩恵を受けているということだ」相変わらず鮎川さんは海を見ている。毎日見ているだろうに。
「私も、受けつつありますけど」と私は言った。言うべきじゃなかったかもしれない。鮎川さんは、その日初めて私を、ちゃんと見た。真っ直ぐな視線だった。まるで私がそこに居ないような無遠慮とも取れる強い眼差し。
「そうだな」と鮎川さんは言った。しばらく間があり、
「そうですよ」と私は答えた。その時初めて二人の目があった。
それから直ぐ鮎川さんは、何かに解き放たれたみたいに、大きな声で笑った。
「そうだな。まあ、そういうことだな。他にも、色んな物をもらった。あるんだな。金持ちには。こっちが要求もしないのに、いくらでもくれたよ」言い終わると鮎川さんは再び私をじっと見つめた。眼差しが痛くて、ちょっと恥ずかしかった。私は目をそらせ、雲を見ながら「たとえば?」と聞いた。
「現金。預貯金。株券。賃貸のマンション」鮎川さんも雲を見た。
「マンション?ここ以外で?」
「ああ、六階建のこぢんまりとした鉄筋コンクリートのマンションだけど」
「どこにあるんですか?」
「割と良い場所だよ。ここから、歩いて二十分のところかな」
「そこ、空室あります?」
「あったと思うけど」
「そこ、一つ貸してください。格安で」
「そんなの、無料でいいよ」
「無料で?」
「だって僕たち、これから契約をするんだから。愛人の契約」
「そっか。そうでしたね。気持ち、関係ないですよね?」
「気持ちは、あるよ。でも、線を引いておかないと、ダメになるから」
「ダメって、何が?」
「僕たちの、これからの関係が」
「そうかしら」
「そう、経験的にそうだよ」
「そうなんだ。大人ですね」鮎川さんは、下を向いてちょっと寂しそうな顔をした。寂しそうというか、困ったような、残念そうな、そんな顔。でも、その顔を私は好きになった。

「では、大人の話しをしよう。そのマンションの一室と、月二十万でどうかな?」
「そんなに、たくさん?」
「たいしたことはないよ。マンションの家賃収入があるし。その位が相場なんじゃないかな」
「こういうのも、相場ってあるんですね」
「どうかな。よくわからないけど」鮎川さんはますます、困った顔になった。
「それで私は鮎川さんに何をすればいいのかしら」
「週に一度、僕が望む日に、君を自由に出来るというのはどう?」
「週に一回?」
「そう、週に一日」
「なんだか、本当の愛人契約みたい」
「本当の、愛人契約をするんだよ」
「じゃあ、今週はいつにする?」
「今日なんて、どうかな?」
「良いわよ。今日これから、明日の朝まで」
「では、これから君のものを買いに出かけよう」

鮎川さんは子供が出来ない身体でも、単に精子が少ないというだけで、勃起が不全だったりするわけではなく、普通に、いや、それ以上にセックスが出来た。私もセックスの経験は普通の人以上にあるつもりだけれど、鮎川さんのやり方はとても丁寧で、深くて、私の想像を超えていていた。
私達は、鮎川さんの前の奥さんの実家のお金で、結ばれたわけだけど、気になったのは最初だけで、その日の夜、鮎川さんの寝顔を見ながら、私は会社を辞める決心をしたんだ。

人の流れが、まばらになって、歩道を歩いている人種も変わってきた。会社に向かっているというよりは、何処か別の目的があって、そこに向かっているという人々。上を向いて歩いている人。私の優越感も薄れていった。
さて、買い物に行こう。今日は鮎川さんとの約束の日だ。結局彼は、一週間に一度と言う約束を律儀に守っている。私としては、どうせ暇なのだから、別に週に何度でも構わないのだけれど、そこが鮎川さんの真面目なところだ。週に一度と決めたら一度なのだ。今日は、何か美味しいものをたくさん作ってあげよう。でも、仕事を辞めて、貯金もしなくていけないから、そんなに贅沢は出来ない。愛人の手当として貰っている二十万は生活費と貯金に消えて行ってしまう。このままでは、何も変わらない。次のステップが必要だ。何か新しい手法。新しい生き方。新しいプラン。そんなことを考えていると、あっという間に、二時間が過ぎた。私はちょっと痛くなったおしりをさすりながら立ち上がり、すっかりメンバーの変わってしまったスタバをあとにした。
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# by haru_ki_0207 | 2011-02-27 22:42 | SNS  

SNS(その1)アユミ

「もう、私たち、無理かも……」
深夜、アユミから届いたメールに私は
「大丈夫。彼を信じようよ。まだ、わからないじゃない」と、打ち返した。とても心配はしたんだけど、でも、その時何かが私の中に宿った気がしたんだ。急に降りてきて居すわられた感覚?ざわざわとしていて、ずっと溜まってるみたいな。あの時なのかな。私が変化したのは。

◆1アユミ

アユミと知り合ったのは、三ヶ月前。
今流行のソーシャルネットワーキング・サービス。SNS。

私と同じ二十八歳で、同じ血液型で、同じ小説が好きで、同じドラマを見ていた。まさに奇跡みたいな出会い。でも、同じコミュに入っていた訳だから、運命とまでは言えないんだけどね。
私達はすぐに仲良くなった。音楽、旅行、映画、写真、ファッション。共通の話題はあふれていた。そして、お決まりと言えばそれまでだけど、今付き合っている彼の話題に進む。恋バナというやつ?

「彼は、同じ歳で同じ職場なの」とアユミ。
「つきあって、どのくらい?」と私。
「もう、二年になるかな?ミチルは?」
「私はまだ二ヶ月」
「まだ、これからって感じだね」
「うん。まだ、これから。アユミは結婚を意識してる?」
「うーん。私はしてるけど、彼はどうかな?まだ若いし」
「そうね。男の二十八歳は若いわよね。まだ結婚って歳じゃないかもね」
「ミチルは結婚意識しないの?」
「うーん。どうかな。それほどでもないかな。でも、彼の方がしてるかも。もう四十五歳だし」
「え!そうなんだ。四十五歳かあ。随分、年上だよね」
「うん。でも、良いものだよ。包容力あるし、経済力あるし、安心して甘えられえる」
「でも」
「でも?何?」
「怒らない?」
「怒らないよ」
「あっちの方はどうなの?」
「あっちって?」
「あれ」
「セックスの事?」
「うん」
「変わらないわよ。若い人と。むしろ、良いんじゃないかな?」
「良いって?」
「濃くて、まったりとしていて」
「そうなんだ」
「うん。今までで一番良いかも」
「本当?」
「うん」
「一番かあ」
「うん。いつも、イッちゃう。深く」
「いつもかあ。いいなあ。私、イッたことないんだ」

会話は突然終わる。それは、いつもの事。あまり気にしない。何らかの事情で、文字を打つことが出来なくなったのだろう。そして、会話は突然再開したりする。これもいつものことだけど。

私の名前、ミチル。本名は別にある。ネット上の架空の名前。誰だったか忘れたけれど、いつからか、誰かがそう呼び始めた。割と気に入っている。ミチル。
ときどき、潮が満ちるみたいに、たわわに溢れ出して、こぼれ出して、満たしてあげたい気持ちで一杯になる。全部包んであげて、何もかもを覆い尽くして、一気に、ギュッと奥まで隙間なく、満たしつくしてあげたい。欲望と名のつくものを、全て満足させてあげて、奥の奥まで、もう良いと言っても心も体も全部、くたくたになってもまだ飽き足らず、もう私なしでは居られなくなるくらい、どろどろになって、混ざり合って……。妄想。私だけの時間。

突然、メールの着信音が鳴る。
「マサトが、来ない」
マサトというのは、アユミの彼の名前。
「今日来るって言ってたの?」
「うん」
「電話にも出ないんだ?」
「うん」
アユミは、私と同じで一人暮らしだ。両親は健在。それが私と違うところ。私の父親は、私が五歳の時に亡くなった。母は今も生きている。息苦しいほど元気だ。これが逆だったらどんなに良かっただろうと、何度も思う。父が生きていて、母が死んでいたら、私は、私の人生は、今とは随分違ったものになっていただろう。

「何時に来るって?」
「十時には来るって」
私は、携帯の時計を見る。十二時。約束の時間を二時間過ぎている。
「仕事で遅くなってるんじゃない?」
「違うと思う。今日は接待もないし、私よりも早く、会社を出たし」
「何処かに行くって、言ってなかったの?」
「一度、家に帰って、それから泊りに来るって」
「だったら、家に居るんじゃないかな?」
「あ、来た。またね」

会話はそこで終わった。アユミは二十八歳の割に子供だ。基本、自分の事しか話さない。たまに質問されても、それは自分の話しの伏線だったりする。
SNSのトップ画面には、自分の画像を公開している。容姿は綺麗で、胸が大きく、男が放っておかないタイプ。きっと、学生の頃は、モテていたんだろう。何人かの男が彼女の事を密かに想っていたかもしれない。あるいは、そのうちの何人かが、告白したかもしれない。男には不自由はしたことがない。常に誰かが周りにいる。最近、親元を離れて、一人暮らしを始めた。それまではずっと、親に守られてきたのだ。私とは正反対だ。
彼とのツーショットの写真は私の個人アドレスにメールで添付されて送られてきた。ネット上で出会って間もない、見ず知らずの私に。そこが一番の、子供である所以なのだろうけど、でも、私みたいに、まずは疑ってかかるという性分と、どちらが幸せなのかは、わからない。

今頃アユミは、彼との甘い夜を過ごしているのだろう。何かが彼のスケジュールを狂わせ、でも、アユミに会いに来た。一件落着なのだ。
私はパソコンの画面の中のアユミを見た。長い髪、色白の肌。大きな目。長いまつ毛。ふっくらとした唇。大きな胸に不釣り合いな細くて長い手足。そして身体。
それは私にサバンナに一人たたずむ、小動物を思わせる。無防備で危うく、そのくせ挑発的だ。彼とのツーショットの画像を開いてみる。彼の手が、アユミの手に絡まっている。ごつごつとした手は、アユミの細くて白くて長い指を征服している。それなのにアユミの全てを許したような笑顔。彼の事が絶望的に好きなのだ。左手の薬指には銀色に光る指輪。でも、これはアユミ自身が買ったものだ。いつか、彼に買ってもらいたいんだと言っていた。そして、それはこのまま順調に行けば、現実のものになるだろう。
再び、アユミの顔に目を戻す。画像を少し拡大してみる。黒い瞳に何かが映っている。アユミは何を見ているのだろう。安心しきった潤んだ瞳の先にはこの画像を撮るマサト君が居るのかもしれない。きっと居るんだろう。さらに顔を拡大してみる。目じりに小さなしわを見つけた。少しずつ忍び寄る、老い。成長のピークを過ぎた今、それは確実に私たちに忍び寄る。二八歳。決して若くはない年齢だ。この気持ちは十代の頃には微塵もなかった。そして私の中にもアユミの中にも確実にあるのだ。

「おはよう。昨日はごめんね」アユミからのいつものメール。
「仲直り、ちゃんと出来た?」
「うーん。微妙。何だか、彼、いつもと違う気がした」
「気のせいだよ」と、私。
「そうかな。いつもに増して、疲れてた気がする」
「仕事が忙しいんじゃない?」
「そんなことない。だって、今は、暇なはずだし」
「男は、色々あるんだよ。きっと」
「そうかな。ホント、元気なかったんだ」
そっか。しなかったんだと思った。私は昨夜、最後のメールの後からずっと悶々としていた。てっきりアユミは彼に抱かれていたのかと思った。アユミは裸にされて、マサト君はアユミの身体を丹念に探っているのかと。でも、そうではなかった。
「しなかったんだ」と私。
「してないよ」とアユミ。
「朝から、ちょっとエロいね」
「ははは。ミチルのエッチ。じゃあ、行くね!」

まるで私たちは、恋人同士だ。いつも、一緒に居る感覚。手を伸ばせば、いつでもアユミを感じる事が出来る。アユミの生活が手に取るようにわかる。SNS上に書かれてあるアユミのプロフィールをもう一度見てみる。好きな音楽、感動した映画。最近行った温泉宿の風景。
アユミは必要以上に自分の情報を公開している。誰に向かって発しているのか、誰に見て欲しいのか、本当は何が欲しいのか、わからないけれど。
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# by haru_ki_0207 | 2011-02-27 22:28 | SNS  

ときどき、ぼくは

ときどき僕は、消えてしまいたくなる。
欲しいものとかはもうないんだ。手に入れるべきものは全部手に入れた。
大型の液晶テレビ、4台のパソコン、マックブック、ローンの終わったマンション。
美しい息子と娘、そして妻。
でも、本当に欲しいものを手に入れることは出来なかった。何一つ手につかむ事は出来なかった。
指の間を、通り抜けて行ったんだ。
にぎりしめたのに。



ときどき僕は、生きてみたくなる。
ごくたまにだけれど、それも良いかなと思ってみる。
でもいつも、引きずりこまれる。
今の世界に。


いつだったか、レストランで食事をした。彼女が僕の前にいて、頬杖をついて僕に話しかける。
僕はそれを黙って聞いている。たまにうなづいたり、へえ、と言ったりする。
僕はずっと彼女の顔を見ている。それだけで幸せを感じる。
本当に感じるんだ。一年生の教科書みたいに、理解出来る。
そして今、それが永遠に失われてしまった事を知る。


ときどき僕は、やっぱり消えてしまいたくなる。死にたいとかじゃないんだ。
ただ、単に、無かった事にして、この場からすっと、消えてなくなる。

それが出来たら、素敵だと思わないか?
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# by haru_ki_0207 | 2009-11-24 23:55 | 雑記